「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。) 番号をクリックすると、その全文が表示されると思います。

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組織的に行なったかどうかは、行なった側の主観で決まるのではなく、社会的に責任を問われる中で、外部的に認定される性質のものだろう。

 

大臣・幹部が含まれ、多数の事例が明らかとなりながら、各議員が個別に行なっただけというのでは、信者が個別に行なっただけというのと、同じである。 同じ穴の 政教一致か!

 

たとえば、軍隊・兵士が 度々 戦争犯罪を行なう状況が続けば、組織や指導者の責任を問う必要があるだろう。

 

仮に制御できないのであれば、制御できなくなったことについて責任を問う必要がある。

 

組織として崩壊していれば、組織として社会的に処遇することはできないし、何らかのまとまりがあれば、その集団の責任を問う必要がある。

 

指示がなされたような強い関与だけではなく、止めさせるべき立場にありながら、同じ状況を継続させていたような場合には、組織的に行なわれていたと認定すべきである。

( 社会的責任だけでなく、刑事責任としても、裁判上の判断としての吟味の慎重さは ともかくとして、特別な地位にある者の責任を免れさせる方向で考えるべきではないだろう。)

 

 

政治活動に関して、安全面を含め、不安や先々の憂いを抱え込みたくないはずなので、何を期待して選挙を手伝ってくれているのかなどについては把握していただろう。

 

また、関わり方の違いがあることをもって、全体として無答責の方向に すり替えがなされ、それは、政治倫理的な非難に対して罪刑法定主義を振りかざすかのような、開き直りの無反省にもつながっており、問題が解決されないおそれがある。

 

 

言論・報道機関の役割は重要であり、公共放送が 政権与党を批判できないとすれば、それもまた 癒着であり、害悪である。

 

回答に委ねて済ませるのは間違いであり、認定や評価をそれぞれが示す必要がある。