ワクチン接種について、接種率や安心のためではなく、一貫して本人の医療的な必要性の観点から捉えられていたとしたら、今の景色はもっと違っていただろう。
医療従事者も例外とせず、重症化しやすい人々からの接種を進めていれば、L452R変異の影響を前にしても、死者・重症者数は より少なくなっていたはずだ。
感染対策面での多くの人々の協力も支えとなり、ワクチン接種が進んだ英国などと比べても、社会的にはもっと余裕のある状況だっただろう。
何度目の緊急事態宣言で第何波かも瞬時には分からなくなってきた今、中等症でも酸素吸入が必要だとか、病床が足りなくなるとか、保健所の業務が逼迫するとかの理由によって、また、五輪を強行しておきながら、人々の活動を制限しようとすることのほうが 無理な望みではなかろうか。
ワクチン接種の優先順位や五輪開催に関する専門家の政治的スタンスに起因する現在の状況は、フィルダーズチョイスのような専門家の判断ミスによる結果でもあると指摘せざるをえない。
医療の現場が困って最終的に不利益を被るのは患者側になる自分たちだが、コロナによる被害がインフルエンザなどと同等になりつつあるようであれば、自粛の継続・強化は心理的に無理なことになりつつある。
五輪後、あるいは開催中、あまりにも酷いと多くの人が思うような状況になれば、国民は政治責任を問いつつ、活動制限をしなければならなくなるのかもしれない。