「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。) 番号をクリックすると、その全文が表示されると思います。

537

青天を衝っつく前に、モネの下宿先を突っついてみよう。

 

( 貞山政宗公遺訓は、伊達政宗の遺訓かどうかは必ずしも明らかでないらしいが )「仁に過ぐれば弱くなる」について、ドラマ内では、甘やかすのは良くないといった話にしていたが、後の列記と合わせて考えれば、自身が弱くなるという意味だろう。

 

遺訓は、考えの行き過ぎの弊害について、五徳とされていることについても指摘しているが、思いやりや他者への配慮を減じるような考えから始まって、利己主義に軸足があるようでもあり、損をしないようにと処世術に傾いている面もありそうであるし、帰結主義・功利主義的な面も混ざっているのかもしれない。

 

何事も ほどほどにということでは、後半で展開される趣旨とも繋がってはいるが、良心の価値を引き下げてしまうことにより、かえって、その境地から遠ざかってしまうのではないかとも思われるし、思いやりの心を割り引いてしまうと、我慢する、諦めるというだけで、心からの感謝によって幸福になるということができなくなるのではないかとも思われる。

 

 

義を、主観的な想いのみで捉えるかどうか、

 

礼を、へつらいに用いるかどうか、

 

智を、うそに用いるかどうか、

 

信用・信頼を大切にするかどうか、

 

それらは、

 

( 優しさを主とし、知的・客観的に確かな ) 思いやりの心・仁に基づいて 判断される必要があると思われる。

 

 

さて、忠・孝・悌については、五徳には含まれていないためか、触れられていないが、それらに過ぐることは、主君や親などが得をするからいいのか?

 

封建制度に親和的な便宜主義?

 

まあ、その辺のことの追求に過ぐることは、控えることとしよう。

 

慎む心を身につけたいと思いながら、出来ていないし。

 

 

 

さて、青天のほうを衝っついてみると、スタート前の予告編で、全体のためにっていうのが強調されていて、全体主義かと、つっつきたくなったのは、私だけではなかったのでは?

 

全体主義の危うさや問題点、人権についての理解は、第二次世界大戦敗戦前には一般に曖昧な面があったと思われるが、現代でも怪しげであったりするのだろう。

 

もうひとつ、明治・大正・昭和期で、日本の呼び方について、二ホンとは言わず、ニッポンという言い方だけになったら、衝っついちゃろうと予定しておるが、どうかのう。