性スペクトラムという捉え方について、テレビでやっていた。
疑問点として、連続的な分布の範囲の枠組みが示されていても、現実の人間が実際にどのように分布しているのかという点が欠落しているように思われた。
Y染色体の有無や大きさの違いから連続的になるのだろうが、境界領域を広げ過ぎた捉え方であるように思われる。
現実の人間の分布としては、接する領域内より、比較的に男女どちらかの側に寄って分布しているのではなかろうか。
捉える「べき」という姿勢だとすれ、科学とは違うと思われる。
性的指向等、様々な違いを揶揄することが許されないことは確かだが、その根拠を探すような視点から、性別に関する科学的な捉え方を変えるということに至っているように思える。
性別適合手術が行なわれるのは、社会の考え方に合わせるというよりは、受ける人の心の中の違和感からだとすれば、男女を消し去るような捉え方が 科学的に正しいとも思われない。
また、他の動物について、Y染色体が消滅して他に置き換えられたということが、短期間で起こったというのが事実としても、人間が当面で、急激に変化する可能性があるというのは、確率を考慮すると、科学的な指摘なのか冗談なのか判別がつきにくいし、長い時の流れを考えると、短期間というのも、数年といった人間の時間感覚とは違うように思われる。
そして、男女の違いの面を埒外にする捉え方は、各人の個性の要素をかえって消し去ることになり、多様性とも矛盾すると思われる。
男女に分かれて子孫を残す仕組みを活かすために、長い時間の流れの中で人類は、社会的にもそれを支えてきたのではなかろうか。
社会全体としては、男女差が曖昧な状態より、どちらかにできるだけ属してもらうほうが、生命を受け継いでいくという面では、理に適ったことだったと思われる。
生活を為す基盤が違ってきている現在で、人類の生命をつないでいくことに関する正しさの方向性を、個人的に設計することは自分の能力を超えている。
人間の英知を結集すると、正しい選択ができるのだろうか。
現実は、その時々の支配的な思想的に沿って 進んでいくのだろう。
社会思想が 遺伝子レベルの変化に 影響を与えたりもするのだろうか。