不織布のマスクを二重にしなくても、一枚を確実に装着するれば、効果の違いは数パーセントしかないといった実験結果が示されていましたけど、不織布のマスクが世界中で大量に使用されると、分解されないゴミとして何年後かの海洋汚染につながったり、焼却分の負荷は木綿のマスクの繰り返し使用より大きくなるでしょ。
ガーゼマスクに木綿を巻いたり、間に分解可能なフィルターを入れたりして、布マスクの性能向上について検証してほしいわ。
今後、別の感染症も考えられるわけで、環境問題に関して、人類絶滅に直結するような余程のことは別として、自分たちの身を守ることだからといって、様々な他のリスクと比べて必ずしも必要でないことまではできなくなってきているんじゃないのかしら。
( 現状では、医療・介護や重症者化しやすい人などが使用して、一般的な使用は布マスクがいいと思うの。)
過剰なリスクを負って犠牲になるのが良いわけではないと思いますけど、リスクを回避する意識に囚われ過ぎると、何の人助けもできなくて、優しさの欠けた社会になってしまうでしょ。
帰ってきたウルトラマンで、ザニカという宇宙?怪獣がいて、故郷の かに星雲が侵食されることで、分身的に苦しみながら ( 助けを求めて? ) 地球に来たんでしたっけ。
ウミガメや水鳥が環境汚染で被害を受けている映像を見たりして、映像から離れても環境問題で重苦しさが継続してる感じ。
話の筋が逸れるんですけど、怪獣のバッジでザニカので大きいのがあって、友達がそれを欲しがって、その子の家に遊びに行ったとき普通のバッジ3個と取り替えてほしいと頼まれたの。
ご両親も一緒にいて、兄弟も含め皆で頼まれたような感じになって、( 自分でも気に入っていて取り替えたくなかったけど ) 取り替えっこしたわ。
母に大きいバッジどうしたのと聞かれたりしたので、目を引く物だったわね。
( ネットの画像で確かめたら、自分に残っていた印象のほうが良かったんですけど、同じものなのかしら。)
何となく、後悔というか喪失感というか、残ってしまったの。
でも考えてみると、物で相手が喜ぶのなら譲ってあげたほうが、自分も幸せに過ごせたんでしょうね。
取り替えるより、あげたほうが良かったとも思ったわ。
別の友達 ( 母親が韓国人、父親が米国人 ) で、仮面ライダーのラッキーカードが2回当たった子がいて、二回目の時に居合わせて、いいなぁとあまりにも羨ましがったからだと思うんだけど、くれたのよ。
( 物やお金をもらって感謝することは大切ですけど、市場価値の高さや物欲で捉えてしまうと、資産や権力の大きさに比例して偉いと思ってしまいそうね。
そういうことについても、優しさを主とし 知的・客観的に確かな 思いやりの心が大切でしょ。)
2回目とはいえ、少年がラッキーカードをあげるというのは心が広いわ。
あまり考えなかったけど、後悔しなかったかしら。
送られてきたアルバム ( カード・ホルダー ) の表紙が、友達が持っていた映像写真のと同じものではなく、イラストのだったので、少し残念だったりもしたんですけど、優しさは、物質的な満足感とは違う幸せをもたらしてくれるわね。