弱い者いじめ という表現の、弱い者 というのは、いじめへの非難が添えられ強調されたものだろう。
そのようなことから考えると、'強い'者いじめという表現は、いじめの意味から外れていて、いじめの捉え方を間違えた表現であることが分かる。
いじめと捉えられる状況であれば、( その場面では ) 強い者とは言えないし、強い者として振る舞い続けられるのであれば、いじめにはならないだろう。
また、暴力や名誉棄損・侮辱などは犯罪であるが、関係性を度外視して いじめとは認定されないだろう。
政治的・社会的な批判について、波風を立てるほうが悪いと思う人もいるようだが、多くの人が批判をしたからといって、個々に問題のある表現方法・内容でなければ、いじめになるわけでもない。
社会問題について、特定の意見が多数になったからといって、言論上の批判による対象者の苦痛の排除を優先して、制限を掛けるべきでもないだろう。
立場上反論できないというのは、帰責性があったり、立場に価値があるために反論しない、反論しないことに価値を見出しているから反論しないということだろう。
そうであれば、反論できない人への批判であるとして いじめになるとは言えないだろう。
暴言などについて、一般の人が有利に楽に対処できている社会状況でもない。
暴力や暴言を許すべきではないが 、'強い'者いじめというのは、有利な立場にいる人に親近感を持って、その気持ちを慮り、擁護したい気持ちからの表現であったり、同じ側に立っている人による自己防衛としての表現であるように思われる。
多くの人から批判されているというだけでかわいそうだと主張するのでは、関係性や実情・実態を理解できていないと言えるだろう。
不適切な表現は、いじめか否かにかかわらず 許されないが、'強い'者いじめ という捉え方は、強者・権力者・発言力のある人などへの批判を抑制する、批判狩りの機能を果たすものだろう。