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公共性から 平等を差し引くと、権力的 強制性・政治的 強要性に過ぎなくなる。

独裁制・民主制を問わず。

 

公共の福祉は、平等性が欠けていれば、政治的・権力的な福祉に過ぎない。

 

 

的を絞った感染症対策というのは、平等性が欠けていることが意識され、十分な配慮がなされる必要がある。

 

効果的という捉え方がなされているので、それに協力することは公共性に対する貢献であり、貢献に見合った処遇が必要である。

 

 

公共性の観点から みんなで協力することについては、罰則が必要な面があるが、一部の人に対して 罰則を設けて強要することは、公共性に反するのである。

 

空港や原発・核処分場の立地について 協力しなければ刑事罰を科す、というのと同じことだろう。

( 一部の人や地域が合意したからといって、全体の公正な合意形成がなされていなければ、公共性に適うというわけではない。)

 

 

飲食店への罰則を引き合いに出して、民間病院への罰則に言及する見解は、上記のような考え方が理解されていないと思われる。

 

 

感染症法上、病原菌・ウイルス自体と 感染者は区別されているのだろうが、第67条の、みだりに発散をさせて公共の危険を生じさせた者という捉え方は、依然として差別や偏見を生みだすおそれのあるものだろう。

 

体内に存在するからといって、根絶や脅威という意識が、人間 ( 人間の長年のパートナーである犬や猫も含めてほしい。牛や馬が家族である場合もある。 ) に向いてしまってはまずい。

 

政策の必要性・代替性や強制の程度も、十分に考慮される必要がある。

 

また、隔離が必要で実際に拘束してしまうのであれば、そのような本人の不利益以外に刑罰を科す必要があるのだろうか。

 

罰則に心理的な強制力はあるのだろうが、刑罰を科しても隔離がなされないのでは、現実のほうは解決しないし、刑罰と入院や隔離は別のことだろう。

 

保健所などの調査も、過料による威嚇で強制されるのでは ( 刑事罰ではなくても ) 、クラスターを見つけて叩くという方式に反対したくなる。

 

その有効性が失われるのは、強制の問題ではなく、調査に手が回らない状態まで政府の対応が遅れることにある。

 

広がり過ぎたら、みんなで短く強く自粛するほうが良い。