在日米軍駐留経費について、NHKは、いわゆる と言い添えて、思いやり ~ と表現し続けている。
たとえば、差別的表現であれば、いわゆると言い添えて使い続けて良いわけではないだろう。
駐留経費という表現は中立的な表現であろうが、思いやり ~ となると、用語自体に、増額・多額あるいは据え置きを善しとする方向に傾く意味が含まれてしまうため、中立性に反する。
通常の受けとめだと、思いやりで減額するという解釈にはならないだろう。
増額しない あるいは 減額するということが、 思いやりに欠けるかのように、思考が操作されてしまう。
政府にとっては、表現の呪縛がマイナスとなる面もあるが、交渉で押し切られたような場合の言い訳には、依然として都合が良いのだろう。
問題は、使用されるに至った経緯というよりは、使用し続けられることにある。
軍事費の補助・分担について、据え置き・増額に親和的な表現が 一般に使用し続けられてしまったからといって、更に使用を続けて良いことにはならない。
また、政治家の一部の人が、思いやり ~ という表現の問題を指摘したからといって、それは多数決原理の政治問題ではない。
仮にそこを政治問題で捉えると、バランスをとるためには、「思いやりという表現が問題視もされている在日米軍駐留経費」といった表現を付け加えなければならないということになる。
解説者やニュースを扱う現場の人々が 思いやりということを大切に思うかどうかは別としても、中立・公平・公正といった公共性の観点から問題なことは明らかである。
他の報道機関も含め、政府の言い訳に便利な、据え置き・増額に親和的な表現 を看過して そのまま使用し続けるのでは、ジャーナリズムの名が泣く。
予算の中で特定の支出にだけ、思いやりというラベルを張るのは、公共性に反する。
悪しき表現を語り継いでしまっているという意識がないのだろう。
加担しているというより、主要な働きをしている。