優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 。  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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多様性が認められるのなら、性的マジョリティーの男性が おねえ言葉?を使ってもいいかしら。

 

きつく なり過ぎないで、言いやすい みたいなの。

 

新聞や雑誌やテレビの解説などで、堅苦しさをなくすため?にキャラクターが出てくるというのも、分かる気がするわ。

 

現実の場面だと、恥ずかしさや、ややこしさで、できないんですけど。

 

 

関西人でなくても、関西弁を使わせてね。

 

馬鹿にしているわけではないのよ。

 

 

まねしたり、扮したりすることについて考えたら、三つ思い浮かんだの。

 

ひとつは、対象を貶めるもので、これはだめね。 いじめと同じだわ。

 

ふたつ目は、コスプレのように、その対象が好きで、同じようになりたいからというものね。

 

三つめは、そのふたつのどちらとも結び付くので 善し悪しの判別が難しかったりする場合もあるのだけれど、対象と、まねする人や内容が違っている部分について、可笑しさを表現するパロディのようなものね。

 

前にも少し触れたけれど、表現の自由と、他者の権利とのバランスとしては、( 公益目的や著作権は別考が必要でしょうけど )他者が大切にしている対象を貶めてしまうことが、一般的に目に触れやすい状態で継続されるかどうかだと、私は思うの。

 

貶めているかどうかの判定は 難しいかもしれないけど、配慮が実際になされた(ている)ことが、客観的に分かるかどうかといった基準などはどうかしら。

 

現状では 拡散がということが安易になされているのかもしれなけど、そのことで表現の自由も他者の気持ちのどちらも害されてしまうという共通認識が必要だと思うわ。

 

検索などで探し出したりするのと、何となく目に入ってきたり、聞かされたりする状況は違うと思うの。

 

世間一般で議論が必要な内容かどうかを、拡散する人が責任を持って判断しないといけないわよ。

 

ネットに関して、玄関に張り紙を出すのと同じだというたとえは、一理あると思うけど、限定的なところで表現されているのと、世の中に知らせて回るようなこととでは違いがあると思うわ。

 

( 誹謗中傷やいじめがいけないのは当たり前よね。)

 

公職など、立場で許される内容にも違いがあるでしょうけど、悪い評価の表現を探し出し、あぶりだして、排除しようとするのは、良かれと思ってやっても、結果的に悪になってしまう可能性があると思うわ。 

 

議論が必要だからといって、悪い見解として罰して、消滅させようとすると、表現の自由はどんどん萎縮していくわ。

 

服装やファッションなどに関しては、本人の自由や大切さと、特定の場に対する 他の人の大切な思いとを、思いやりを持って考える必要がありそうね。

 

 

自分の見解を書いてきたけど、法律の規定や実務に照らして、私の考えが合っているわけでもないんでしょうね。

 

法律に適合させなければならないわ。

 

ユーモア、エスプリ、ウィット、社会風刺、表現の自由だと 自分では思っても、通用しないのね。難しいわ。

 

私が前に書いた、セリフなどの引用的なものについては、自分の感想も含め、自分としての別の思いのたとえとして表現したので許されると思ってそうしたのだけれど、よく分からなくなってしまったわ。

 

そういう感じの表現は、少し控えようと 今は思っているの。

 

たとえで楽しませようとするようなサービス精神を封印しなければいけないみたいね。

 

残念だわ。 ごめんなさいね。