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コロナ対策で経済を止めると自殺者が増えてしまうという主張は、自由を制約されたくないためであることが多いように思われる。

 

経済的な困窮による自殺を防ぐことを、コロナ禍でも重視するのであれば、困窮者への経済的な救済を強く主張することが先立つはずである。

 

増加分だけを問題視したり、感染による死と困窮による死のトレードオフで考えるのはおかしい。

 

感染拡大を放置して、感染死を伴ないながら経済が回復しても、先々ではもっと多数の犠牲者を無視するか、その時点でロックダウンするかという選択を迫られるかもしれないという可能性について、無いほうに賭けるということであれば、いい加減過ぎるだろう。

 

 

リバタリアニズムの日本語訳には、自由至上主義の他、完全自由主義、自由尊重主義などもあるらしい。

 

ただ、必ずしも完全ではなく、他の立場が自由を尊重しないわけでもないだろう。

 

至上という言葉に批判的な意味は無くても、主義と合わさると危ない感じがして、批判的な意味が意識されるのかもしれない。

( 次回に少し関連した内容に触れる予定 )

 

自由最高主義という表現を考えたが、至上主義と同じ捉え方になっていくことも考えられるし、自由最高!で捉えらられると支持者増加に手を貸してしまうかもしれない。

 

自由最高価値主義・自由至上価値主義でも同じことかもしれない。

 

リベラルのほうは、自由平等主義・平等自由主義なのかもしれないが、平等主義は区別されるのかもしれない。

 

今さらリバタリアニズムだけを自由主義と言い表すのも区別がはっきりしないのかもしれない。

 

かもしれない。かもしれない。

 

新自由主義もあるので、旧も付けられないし、本家・元祖もおかしい。

 

 

 

考えている途中で気付いたが、自国第一主義やアメリカファーストというのは、至上主義という表現から逃れたものなのかもしれない。

 

実態としては、自国至上主義やアメリカ至上主義という表現のほうが合っているようにも思われる。

 

リバタリアニズムを自由第一主義と表現したほうが良さそうでもある。

 

 

リバタリアニズムが主張する、権力は腐敗するというのは、正しいだろう。

 

ただ、政権交代を促す主張がなされないとすれば、エゴの正当化に過ぎないことを示すことになるのではなかろうか。

 

 

政権交代と真反対に進んでいる中国で、香港は恐ろしいことになっている。

 

優しさを欠き、知性でも誤っている国は、恐ろしい。