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内閣法制局の了解といっても、そこの人事で公共性を無視した人事権を行使しているのでは、雇った専門家の見解と同じようなものだ。

 

公的判断に関して、専門家の少数意見を知見として扱うことが認められると、政府御用達で何でも通ることになる。

 

専門家の肩書が知見ではない。

 

 

公務員が政権だけに忖度したお膳立てをするのでは、国民全体の奉仕者とは言えない。

 

その部分で政権に異を唱えたからといって更迭するのでは、国民全体の奉仕者性に背く人事権の行使となる。

 

 

決済には責任が伴なうが、推薦をそのまま任命する形式的任命では、そのまま任命することが責任である。

 

そこで人事権を行使して任命するのでは、学術会議に問題があった場合には、批判を受け、責任をとる立場になる。

 

過去に事前の調整・考え方のすり合わせが行なわれて、人事に実質的に関与したのであれば、今の状況を他人事の立場で批判できる立場では既になく、全責任を問われる立場にあることになる。

 

 

ネットの議論を把握できているわけではないが、天皇による任命との比較で説明がなされたことに対して、象徴天皇制を第一に据えた見解なども示されたりして、錯綜した面があるだろう。

 

米国大統領選挙でも、何を第一に考えるかによって、郵便投票分を数えるかどうかについて、異なる主張が示されている。

 

投じられた票が可能な限り数えられる方向に沿った議論や工夫に言及されないのでは、現職大統領の地位や権限に照らして問題があり、支持者側でも権利が保障されない事態を求めていることになる。

 

公共領域を自分たちに都合良くしようとする政治と、それを支持する一般市民の熱狂は危険であろう。

 

公正さについての意味泥棒や、事実を受け入れないことなどが許される状況は、深刻である。

 

敵・味方の分断と制圧主義でもある。

 

 

民主主義を多数決原理だけで捉えると、AIに支配されるのと変わらない。

 

すべてのことで多数派になれる人は存在するのだろうか。

 

法解釈に関しては、公共領域を護る視点に正当性がある。

 

そうでなければ、人権保障を取り入れた法体系や、それが無ければ成り立たない民主政治が瓦解する。

 

多数決によるショートカットで民主主義を推し進めようとすると、人権保障が不十分で批判されている国と似てくる。

 

投票率が低めでの多数派という面での謙虚さも必要であろう。

 

 

限られた有力者・富裕者の自由を拡張することを優先し、そこに身を置こうとするような賭けについて合意することは、射幸心第一主義であり、人々の幸せには結びつかない。

 

社会が発展して他の人々の生活水準も向上するということが肯定の理由に挙げられるのなら、社会主義を毛嫌いしつつ、一種の社会主義を選択していることになる。

 

結果の不平等を放置する政策は、仮に 後の人々全体の生活水準の向上につながったとしても、それまでの人や世代を犠牲にする点で不当である。