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非正規雇用者の待遇に関して、最高裁は、契約社員は救ってアルバイトは救わないのか、という疑問も湧いてしまう。

 

配置・責任・難易等の職務内容の違いや、職員の定着・確保を図る必要性などから、差を設けることに合理性があると判断しているようであるが、企業側に寄り添った視点に立っている点で問題がある。

 

企業の経済活動上の必要性・合理性だけがほとんどそのまま、法理論的な合理性とされてしまっているのではなかろうか。

 

同一労働同一賃金や法律自体の視点の問題も多分にあると思われ、その適切さ自体が問われ、適用について考慮される必要がある。

 

比例配分的な正義だけで同一性を捉えると、同一でないと判定することで、差異の正当化・現状追認がなされる。

 

 

立法事実の問題なのかもしれない。

 

同一労働で同一賃金ではないということがおかしいというのは分かりやすいが、社会や企業は、様々な同一ではない仕事によって成り立っており、その同一ではない仕事に対する処遇の適切さという面で、分配的正義が意識される必要がある。

 

同一労働のストライクゾーンは狭いし、境目の判定も厳しくすれば、ボール判定になる。

 

 

いくらでも入れ換えが利くからと、人の処遇について市場原理で買いたたくようなことは、人間を手段としてのみ扱っていることになる。

 

各人が役割を担っており、かけがえのない人としての権利を持ったメンバーのひとりとして処遇する意識が、マクロでもミクロでも必要である。

 

人の生活に関わる雇用について、経済合理性や企業側の必要性の視点に立つのでは、司法の役割を放棄している。

 

 

予め差を設けた基準で一方的に従わせる人事ではなく、従業員の希望を 様々に考慮しながら、配置の必要性が生じるのであれば、手当てなどの優遇措置を考えるべきであろう。

 

昇進に関わらせると、問題が解決しないので、主にその都度の報償による必要がある。

 

ただ、賞与が有りか無しかでは適切ではないし、差の適切さも問われる。

 

管理職の業務の範囲を徒に広げ過ぎないようにする必要などもあるだろう。

 

 

対顧客・対従業員・対環境・対社会などとの関係で問題が生じる場合に、企業側の便利さを優先すべきではない。

 

様々な工夫ができる余地があるはずであり、必要は発明の母という 人の能力を活かす方向性は、競争企業の専売特許だろう。