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戦略や戦略的という表現や捉え方は、私人の競争関係では良いとしても、平和主義を国是とする国の用語としては不適切であるし、公共領域にはそぐわない。

 

軍事的な語源に由来し、マキャベリズム的でもあり、パワーポリティクスに沿った表現で、公共領域では比喩としても不適切である。

 

strategy , strategic の現代語訳としては、余計な装飾が幅を利かせてしまっている。

 

 

総合的や俯瞰的は、このような場合の表現で使用するべきである。

 

長期的・巨視的・複合的というのもあるようだし、方針・方策その他、横文字も含め、頭の良い人は適切な用語を考え出せるはずだ。

 

成長戦略会議などは、戦略という表現を外し、事柄の性質にふさわしい 適切な名称から考える必要がある。

 

 

戦略的互恵関係は、敵対関係から脱する方向性での表現としては役立ったかもしれないが、永続的に良いとは言えない。

 

友好関係といった平和的な捉え方を大切にする必要がある。 

 

戦略的友好関係 という捉え方に疑問を感じることができるのであれば、意味の違いを理解できるだろう。

 

戦略的 愛情関係?  戦略的 家族関係?  戦略的 親子関係?  戦略的 友情関係?  戦略的 地域協力?  戦略的 助け合い?  戦略的 人権保障?  対国民 戦略?  対マスコミ 戦略? 

 

敵と味方の関係から脱する必要があるはずである。 

 

また、互恵ということについて、直接的な利害関係で捉えるのも間違いである。

 

戦略的に見て損になれば平和主義の旗を降ろすというのでは、平和主義を、平和な時だけ唱え、重要な時に失ってしまうことになる。

 

 

文字は、背後の意識と無縁ではありえない。

 

それ程意識しない中で、何となく戦いや競争に親和的になってしまうとすれば、公共性や平和にとって良くないだろう。

 

慣用的な使用だからと看過せず、「戦」という文字の一般的な使用を避け、長期的・総合的・俯瞰的その他、適切な表現に改める必要がある。

 

戦略的という表現が、アメリカのレーガン政権下の戦略防衛構想より前でも、日本で多用されていたのかはどうかは分からないが、ゴルバチョフ書記長のソ連との間での平和に向けた話し合いが進み、元々困難な戦略構想は立ち消えになったのだろう。

 

イージス・アショアや敵基地攻撃能力の問題も、制圧主義ではなく平和構想に理があるだろう。

 

 

strategy や tactic (戦術) について、欧米人がどのような印象を持つのかは知らないのだが、語源や概念はともかくとして、文字自体は戦いと結び付いていないのではなかろうか。

 

一方で、戦略的パートナーシップでも、戦略の文字の問題は別として、利益・打算のストラティジーでは、狡猾的パートナーシップになってしまうので、平和的・人道的な国際関係とは言えない。

 

相手側が友好的なパートナーシップを長期的に継続する意識なのに、日本側が利益本位な受けとめになっているのであれば、背信的になる。

 

相手側も利害中心で考えていたとしても、人を利益獲得の手段としてのみ扱ってはならないのであれば、双方の利益になることは良いとしても、利用関係だけで考えて良いわけではない。

 

平和や友好のためには、表現を改めるべきである。

 

他国との関係で、戦略という文字が使用されると、悪い思考領域での思考に誘導されてしまうし、関係が悪化した状態で使用されれば誤解を生む。

 

戦略的パートナーという表現は、集団的自衛が視野に入っていると推察される。