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 学問・学術に関する公共的な評価に基づく推薦が、総理大臣から 総合的・俯瞰的な観点を理由として拒否されるのであれば、その業績が国家からは認められず、学問の範疇外の扱いということになる。

 

何らかの一般的な自由として認められたとしても、”学問の”自由 として保障され、それにふさわしい扱いがなされたことにはならない。

 

学問として認められるかどうかが政府によって左右されるのでは、学問の自由が保障されているとは言えなくなる。

 

 

それとも、学問的な業績は認めたうえで、客観的に適切な拒否理由を示さず、人物的な適正性の判断だとするのだろうか。

 

人物的な問題という印象を広く一般に与えてしまうことも、人権侵害であり、訴訟問題となる可能性がある。

 

推薦に対する拒否の理由が総合的・俯瞰的観点だけでは、独立性が求められる組織の人事への恣意的な介入としても争われるだろう。

 

 

政府御用達が、時の政権による必要性の判断に過ぎなければ、公的な費用が必要な研究分野では影響を受けやすいのだろう。

 

学問には それぞれ専門領域があり、総合的・俯瞰的というより、分析的・部分的・微視的な学問領域のほうが多いだろう。

 

それぞれの専門分野から 人が集まり、総合的・俯瞰的に議論する必要があっても、政権が介入した任命では、かえって組織を偏らせる。 

 

直接何かの役に立つかどうかわからないと非難するのでは、個人も国力も豊かにはならないだろう。 

 

 

軍事研究については、科学者の倫理として問題意識が持たれてきたのであり、民用と区別がつきにくいからといって、倫理的な検討を無視してよいわけではない。

 

医療倫理に限らず、思想の域を超えた具体的な行為について、研究者としての倫理は必要である。

 

この意味で、学問の自由も無制約ではありえない。

 

ただ、政府による制約は間違いであるし、また、学術組織内でも、自由な議論がなされる必要がある。

 

政府と対峙しなければならない面での倫理について、政治に踏み込んでいるから政府側から干渉・介入されるべきである、民主的(政治的多数派による)統制を受けるべきであるという考えはおかしい。

 

 

平和主義が日本の国是であり、防衛のためだからといって、軍事技術研究が 倫理的な制約を受けないのでは問題である。

 

核兵器でも弾道ミサイルでも、他国を侵略するためではなく、自衛のために、各国で研究・配備がなされてきたはずだ。

 

日本の平和主義は、憲法9条によって戦力不保持と交戦権否認を伴なう。

 

一般的な研究でも 軍事転用の可能性を否定できないからと、逆に制約なしで推進しようとすることは、積極的制圧主義と親和的な路線である。

 

憲法違反の重層構造だ。

 

 

学術会議を民営化したからといって、新たに自主運営が導入されるわけではない。

 

現状の法律でも、独立して職務を行なう旨の規定があるとのことであり、人事面での介入がそれに反するだけだ。

 

政府から独立した見解が気に入らないからと、費用の問題を挙げ、行政組織からの排除を図ることも、圧力や介入である。

 

 

総理大臣判断時のリストに無かったというのであれば、政府内での手続きに瑕疵があったのであり、早く任命を済ませるとともに、その過程の問題を明らかにすべきである。