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長寿を直接祝ってくれる人が身近にいなくても、そういった高齢の方に対して敬愛の念を抱いてくれている優しい人がいる。

 

その辺りが、この世の捨てがたいところだ。

 

いつの日にか、これを読まれる高齢の方がいらしゃるもしれないので そう記しておく。

 

 

もっとも、これを読むのは…自分なのかもしれない。

 

 

世の中にいる直接見知ることのない優しい人々にも 想いを馳せ、感謝することがきれば、幸せでいられる。

 

( 抽象化された優しさというわけではなく、優しさを向けてくれる人が現実にいて、ただそれがつながり合っていないので想いを巡らせる必要があるのだと思う。

自分が思いやりを持てる対象や範囲からは、自分への優しさを受け取ることもできるように思われる。)

 

 

一方で、経済的に潤っている中で 身近な人から祝ってもらえても、シルバー民主主義に陥って 若い世代を助けることに無頓着であれば、支えることが大変になっている人々から、自然な気持ちで祝ってもらうことは 難しくなってしまう。

 

思いやりを語るときに、つい 返報的な利益や応報的な不利益に言及してしまいがちだが、他者への優しさそのものを大切にして生きたい。

 

いつもそうできるわけではないが、身体や考えが しっかりしている間は、他者への優しさを意識していたい。