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他者に自助を求めることと、自助の手助けをすることとの違いがあるようだ。

 

ケネディ大統領就任演説の、国が何をしてくれるかを問わずに、国のために何ができるかを問うてほしいというのは、演説全体の文脈を考えれば、世界に目を向けたうえで、自由のためや貧困を無くすための 自助の取り組みを手助けすることへの賛同を求めているのであって、各自に 自助を求めた表現ではない。

 

手助けすることへの賛同・協働を求めているのであって、自己責任で解決してもらう趣旨ではない。

 

~ , we  pledge  our  best  efforts  to  help  them  help  themselves . ~ 

 

~ 自助の取り組みを手助けすることについて 最善の努力をすることを、私たちは誓う ~ といったことが述べられている。

 

( 取り組みという言葉は直接対応していないが、self-help といった単語が使用されているわけでもないので、日本語の表現として適切であると判断した。)

 

 

援助を必要とする人が他者に助けを求めることも、自分を助けるための行動のひとつである。

( 実情を知った他者が国や自治体に伝えることと比較すれば、自助の中に、通常とは違う意味を読み取っても間違いではないだろうし、言葉泥棒にも会っていないだろう。)

 

( 自助を 公助の前提条件とすべきではないが、)自身で公助を求めることができなくとも、自分を放棄しているわけではなく、自助は既に為されている。

 

 

自己責任の社会とは違い、助け合うのが当たり前の社会であれば、自助がなされたかどうかが厳しくチェックされて、救済が抑制されるというようなことにはならない。

 

助けを求める行為がなされる ( SOSが発信される ) ことによって、他者が実情を認識することができ、自助も公助も込みで最善策が考えられ、社会として 自助の手助けをすることができるのである。