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政策の効果を見極めながらというのは、知見というよりは政治判断だと思う。

 

二週間ごとの最小限の対策というのも人間の都合であって、ウイルスは関知しない。

 

疾きこと風の如く、迅速果敢な対応が感染症対策では必要だろう。

 

断続的な対策になるとしても、物価目標先送りのようになってしまうと、徒労感に包まれてしまう。

 

他の災害への対処のため、早く制御可能な状況にしておく必要もある。

 

最小限の対策の責任を知見に負わすべきではないし、そもそも最小限ではない対策が必要なのであり、それを改めずに様子を窺いながらの対応では政治責任を問われる。

 

命を守るための私権制限は避けられず、仮にあつものに懲りていたとしても、感染症対策での私権制限への過剰な反応は、なますを吹くことにあたる。

 

住民の、住民による、住民の生命のための、公共的な対処が求められる範囲内では、感染症対策に乗じて権力を恣意的に行使するようなことが見過ごされることはないと思われる。

但し、生命のためといっても、住民の中に敵がいるわけではない。

 

優しさを主とした、知的・客観的に確かな思いやりが、すべてを見守っている必要がある。

 

 

野党側は、生活保障を完全にリンクさせた上で、対策の行き過ぎより、遅すぎ・小さ過ぎを問題視すべきであろう。

 

 二週間ごとというのは、ウイルス対策についてではなく、世帯ごとの生活費として二週間ごとに10万円の支給をしてそれを続けるかどうかという判断期間だろう。

 

 

協力できるのに協力しない人々も、医療や経済面での不利益を受けるのは確実となっている。

 

余裕のあるうちは、情けは人の為ならずだが、身に降りかかれば、因果応報ということになってしまう。

 

協力しない人々も見捨てられることはないが、誰もが死と隣り合わせの状況になってきているのだろう。