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思想や内心の自由は無制約だが、社会の中で行動は制約を受ける。

 

思いやりに基づく社会でも、思いやりに照らし合わせての制約がある。

 

また、思いやりに基づいたとしても権力側が誤ることもあるので、謙抑的な部分が必要である。

 

自粛や要請は、自由意思を制約すべきではないが、思いやりのある社会を実現するために、思いやりに適った行動を採ることを自由意思に働きかける必要はあるだろう。

 

行動の作為・不作為について義務化がなされる場合もありえる。

 

物理的な強制力によらずに働き掛ける施策も良いと思われる。

 

ただ、社会的な心理的圧迫に乗じるのは間違いである。

 

 

平等主義でも思いやりに基づかないと、強権的になったり、苛烈になったり、怠惰な社会になってしまうというのが歴史の教訓である。

 

思いやりに基づくというのは、実現過程でも思いやりが必要であり、継続・維持にも各人の思いやりが求められるのである。