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自粛要請の性質は、複雑で難しい。

 

自粛自体が、社会の反応を意識・忖度して、本意には反している場合が多いと思われる。

 

ただ、思いやりに基づき、完全に本心と一致している場合がないわけではない。

 

 

要請は、単にお願いされるという意味より強く感じられる。

 

正当性のあるお願いだかららしい。

 

正当性があると感じられれば、それを拒絶することは、道徳心が働けば心苦しく、受け入れざるをえない。

 

拒否するには、別の正当性が必要になるだろう。

 

 

本心に合致した自粛が期待できるのなら、情報提供だけであえて要請する必要もないだろう。

 

自粛の要請は、対象者が本心ではしたくないことでも、道徳的な正当性に訴え、道徳的強制力に委ねて要請の内容を実現することなのだろう。

 

国家権力が、責任の不明確なまま、社会道徳上の心理的強制力を利用して、対象者に負担を負わせているとも言える。

 

内容や思想面で誤ると、国家社会主義・全体主義に進む危険性がある。

 

感染症対策という目的は正しいが、間違った方向へ行かないように注意する必要はある。

 

多数の意識が間違った方向に統合されると、ブレーキが効かなくなるというのが、歴史の教訓だろう。

 

法律に基づくというのも、行政権の暴走の歯止めにはなるが、社会的多数の暴走を止めることはできない。

 

冷静さを取り戻す機会にもなるが、アクセルが踏まれる可能性もある。

 

 

思いやりに基づくということは、立憲主義のように権力を縛るべきであるが、権力側や社会が強要するとそれ自体が思いやりに反することにもなる。

 

 

指摘や提案や話し合いは重要だが、他者を責めることに腐心するのは間違いだ。

 

優しさとそれに基づく知性に照らし合わせる思いやりの心に委ね、本心と一致し納得できるようにすることが大切である。

 

権利関係の思考に傾くと、損得勘定になり、思いやりが後退しがちになる。

 

 

自主的な判断内容の一つを他者が求めるというのは、力関係によってはパワハラのようになるだろう。

 

法律による完全な形の措置だけでなく、緩やかな方法にも良い面があると思われるが、責任を持つことと、必要な手当てをすることが必要である。

(ただ、天災と同じ様な面や元々リスクを負っていることを補償することは無理で、一般的な経済支援となるのだろう。)

 

疲れてあまり整理・推敲できないまま終える。