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選抜高校野球の中止に関しては、他の競技が中止されたのに高校野球だけ特別扱いで開催されるのはおかしいという見解もあったが、他の競技でも開催できる方法を探るべきであったように思われる。

 

自粛や自主的な判断に関する批判的な意見は、社会的な非難・バッシングとして過剰に受けとめず、独自に判断して良いと認識する必要がある。

 

非難に傾く言論であれば、そのほうに問題がある。

 

事実上の社会的強制であれば、自粛の域を超える。 

 

禁止するのであれば、法的な根拠が必要であろう。

 

 

また、人気面も踏まえたうえでそれぞれのクラブ活動が選択されているので、各自の嗜好による選択がすべての面で平等に扱われるべきだというのは無理があると思われる。

 

 

授業が休みなのだからという見解もあったが、授業だけが教育ではなく、休みでも教育自体が中止されたわけではないと考えられる。

 

平時でも、休日の課外活動が認められないわけではないし、一時的に課外活動が授業に優先される場合もあるだろう。 

 

 

団体競技は、集団面の問題があるが、出場選手に限定したり、健康チェックを行い、出場選手だけでの合宿で外部からの感染を防ぐなどの方法もあったと思われる。

 

選手以外はテレビやネットを通じての応援になり、気の毒なのは間違いないが、事態の性質上やむをえないことが理解されたであろう。

 

 

100%の安全は、事故なども含めて通常時でもありえない。

 

ありえないことに囚われた、それを根拠とした判断は誤りということになる。

 

個別の感染は各人にとってリスクがあるが、原発の社会的・環境的なテイルリスクなどとは違う。

 

ウイルスとの闘いが長期戦ということであれば、スポーツに限らず、安易な対応はまずいとしても0か1の判断ではなく、その間での適切な工夫が模索される必要がある。