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意味のない質問だという総理大臣のヤジは、発言を認められていない状況での発言の問題と内容の問題の両方がある。

 

内閣は国会に対して連帯して責任を負っているが、その国会から野党が除外されているわけではない。

 

責任を果たしているかどうかの判断は、不信任決議案が可決される可能性とは別に、司法による憲法判断としてなされうる余地がある。 

 

大臣の発言が議員の質問を軽んじていることが明らかであれば、憲法違反であろう。

 

ヤジを飛ばす言動だけでも認定可能であろうが、発言内容が国会を軽視するものであれば、認定が容易となる。

 

総理大臣の地位は憲法に基づくものであり、投票による選出結果であるからといって、国会で意のままに発言して良いわけではない。

 

立法府と行政府との関係なので、議院自律権の問題ではないだろう。

 

議会の多数決原理で済ますことができない部分があり、司法がそれを放置すれば存在意義が無くなる。

 

少数派議員を支持する国民がいることを司法が看過してはならない。

 

株主総会で言えば、経営陣や多数派株主によって、少数株主権が蔑ろにされた場合に、総会の決議で解決するのが不当であるのと同じようなものだ。

 

立法府の多数派が憲法を無視した対応をした場合に、司法が判断を求められて、憲法を守らないのも、職務放棄である。

 

 

さて、質問に答えるのと、質問内容を評価・論評するのとは違う。

 

質問内容に的確に答えないことは、国会に対して責任を負った対応とは言えない。

 

質問時間が限られている中、答弁で質問から外れ、自身の発言機会としてしまうのは搾取である。

 

大臣の地位にありながら、政党の役職や議員としての発言を優先させるのは、内閣として無責任であり、責任を負った対応とは認められない。

 

憲法を全体的に改正したい議員や政党に政権を委ねると、憲法上のルールや価値がないがしろにされる。

 

行政権者のヤジもその表れである。

 

立法府で多数派にさせていれば、立法府でも憲法が軽んじられる。

 

部分的でも、9条や平和主義を変えたい議員や政党に政権を委ねると、それがないがしろにされる。

思いが強ければ、よりないがしろにされる。

善悪の優先順位が違ってくる。

 

日韓関係の基礎を覆すなと主張するのなら、国内関係で歴代内閣の憲法解釈の基礎を覆したことを責任をもって元に戻すべきである。

 

桜を見る会の問題は、桜のイメージダウンにもなってしまっているのかもしれないが、政権与党の総裁選がらみであるのなら、桜疑惑・桜ゲート事件とラベリングされる必要があるのかもしれない。