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絶望とは、自分にとって大切なことについて、実現不可能であることが明らかとなりながらも、それを望み、打ちひしがれる心情であると思われる。

 

心の中のほとんどを占めている状態であり、絶望的という表現は、そこまでの状態ではなく、比喩に過ぎないだろう。

 

絶望感が強くて自死を選んでしまうのは残念なことだ。

 

不可能という判断が勘違いであることもあるし、不可能だからといって死を選ぶというのは、多くの場合、感情のコントロールがうまくできなくなったことによるのだろう。

 

冷静な判断による自死というのは、語られている本能寺の変での信長のような場合に限られる

 

 

不可能を可能にすることはできないので、対象を相対化する必要がある。

 

ただ、恋愛が叶わず、絶望感を抱いている人に、他にいい人が見つかると言っても直ぐには立ち直れそうにもない。

 

夜中にふと目覚めて、過去の良き日に戻りたい、あの人に会いたいと思っても不可能であり、夢うつつの中で心理的に苦しくなる。( 記憶が薄れて思い出せないのも苦しい。)

 

過去に戻ることはできないので、無理なことを望んでも、叶わないのは当たり前である。

 

 

対象が心の中を大きく占めてしまっていることを自覚して、それを小さく凝縮するイメージはどうだろうか。( 不安や心配事なども )

 

良い思い出であれば、星の輝きのひとつとし、悪いことであれば、宇宙の中の小さな点やブラックホールのようにイメージする。

 

これまでに見つけた星の輝きに目を向けて、人生に彩りを添えてくれてありがたいと感謝することができれば、幸福であることを自覚できる。

 

何かを失ったとしても、幸福が失われることはない。

 

不可能なことの中に幸福があると思ってしまうのは、ブラックホールの中に入ろうとするのと同じだ。

 

心配事や不安感は元を解決するのが良いのは言うまでもないが、物事が心の中を占める割合は、自分がディレクターとなり、イメージなどの操作で決められそうである。

 

 

優しさや思いやりを忘れずに、これまで得たことに感謝しつつ、与えられた日々を生きていけば、幸福も希望も連れ添ってくれるはずだ。

 

寿命が尽きた先についても希望や幸福が必要であれば、それらは連れ添ってくれるだろう。