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防衛省設置法の「調査及び研究」について、公正性や学術的な要素のない情報収集を認めるのでは、防衛に関する諜報活動の余地もあることになり、設置法により、自衛隊が防衛に関する諜報機関も兼ねていることになる。

 

 

「所掌事務の遂行に必要な」という限定が付されているので、関係のない調査や研究は含まれず、政策に関連した内容に限定されているが、公的機関の調査・研究と言えるためには、公正で学術的な要素が必要だろう。

 

個人的な調査・研究ではないので、趣味の域を出ないものや恣意性が排除される必要がある。

 

安全確保を目的とする漠然とした情報収集活動態勢は、調査とは言えない。

 

警察のパトロールが調査とは違うのと同じである。

 

見つけ次第対処することが予定されている行動について、見つける部分だけに着目して切り出し、全体を情報収集と表現するのは事実に反するし、調査の文言を根拠として可能になるわけではない。

 

問題が発生しているという情報を既に得ているので、途中で海上警備行動に切り替わるというのは、詭弁である。

 

 

ネット上の問題のある書き込みを見つけ次第、削除する (求める)とした場合でも、調査・研究の権限でそれが可能になるわけではないだろう。

 

 逆に、権限があることについての情報収集について、別の規定が必要なわけはない。

 

権限があるかどうかが問題なのに、権限のあることを前提とした調査・研究や、権限とは無関係の一般的な調査・研究を根拠とすることはできない。

 

 権限がないことについて、調査・研究の文言を介して可能になるのはおかしい。

 

 

調査・研究は、見つけても直接的には何もしない場合だろう。

 

調査する必要があるからといって、できる・許される範囲を無限定とするのは主観的過ぎる。

 

場所的に限定されないというのでは、政府が調査・研究として必要と判断すれば、ハッキンングも不正アクセスではなく、適正アクセスということになる。

  

限定されないという解釈を施すことで、制限をかいくぐることができるのでは、無敵・全能である。

 

人体内について、所掌事務の遂行に必要な調査・研究の規定に基づいて情報収集できるわけではないだろう。

情報収集・調査・研究の規定により、令状無しで身体検査・採血・採尿などができると主張するようなものだ。

 

調査・研究を根拠に、敵基地に向かい、攻撃を受けたら応戦するという流れが肯定されることにもなる。

 

調査・研究名目を通していれば、米軍は日本国内どこでも情報収集することが許されるのだろうか。

 

軍事行動の根拠に関してのロンダリングと言えそうである。どこでもドアかもしれない。

 

 

場所的に限定されていないという捉え方は、人間による調査・研究対象には限定がないという一般論が、思考過程で混同されていると思われる。

 

 

  公正で学術的な要素の無い情報収集のために、哨戒機や艦船を海外に出動させるのは、偵察である。

 

米国に対する忖度に基づく出動であっても、軍事行動であることに変わりはない。

 

また、調査=情報収集として、防衛に関する海外での諜報活動も、自衛隊員の任務とされているのだろうか。

 

この場合も、公正さや学術性が求められると考えれば、当然否定される。

 

必要だからできるというのでは、規定の意味が無くなる。 

 

 前例などの有無にかかわらず、国民や法に対して 無礼?な 解釈は、やめるべきである。

 

 

限定されずにできるということは、一般化されているということであり、それを一般化しないというのは恣意的な判断に過ぎない。

 

無限定であると主観的に判断したうえで個別に判断するというのでは、恣意的な権力行使である。

 

 

国政に関する規定の解釈で、国際関係を度外視して、調査・研究に関して場所的な限定がないとするのは、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないとする憲法に反するので、誤りである。

 

 

世論調査で派遣を支持する国民が多数いても、法律に基づいていないことを理解したうえでの回答ではない。

 

法律による行政の原理に照らし、官僚の方はその道に通じた専門職人的な気概は捨てているのであろうか。

 

日々、抜け道を探させられているのか、道があるのならまだ良いのかもしれないが、道がないのに通り道を作らされているのではないのか。

 

 

議院内閣制の下では、行政府の誤りを、政治的な面で立法府が正すことは期待できない。

 

司法府は、自衛隊や安保条約に関する憲法判断を回避する。

 

司法の役割は職務放棄ではなく、国民の判断に委ねる前に、判断材料としても、違憲であることを提示することである。

 

法律や憲法に関する読解の解答を、国民が多数決で決めることはできない。

 

大臣や行政府の解答が間違いではないのかと国民が訴訟で司法府に正解を尋ねても答えないというのでは、司法権はそこにある建物だけでしかない。