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ヤジが良いわけではないが、不適切なヤジということで、ヤジの内容に立ち入って責任追及することは、言論の自由に反することになる。

 

多数派による言論弾圧を醸成するおそれがある。

 

ヤジとは、意見表明の機会を認められた人の邪魔をする言動と考えられる。

 

聞こえ辛くする、話の腰を折る、話し手の思考を混乱させるなどの点で迷惑となる。

 

ヤジによって注釈をつけるかのような言動は、発言を認められた人の権利を侵害する行為と言える。

 

話し合いは、聞き合わなければ成り立たない。

 

映像上でも、他者の意見を同時に画面に表示するというのは、話し手がそのルールに同意しているなら良いが、勝手に話し手の意思に反するような表示を施すようなことであれば公正とは言えない。

 

 

話し手が話しやすくする掛け声を禁止する必要はないが、( 現在の株主総会がどのような雰囲気なのかは知らないが )  会社側に立った総会屋のような、他者の権利行使をしづらくするような言動などには問題がある。

 

話し手がヤジの内容に反応して応答すれば、そのヤジの発言を認めた土俵上でのやりとりになり、ヤジの問題ではなく、言論どうしの関係になる。

従って、その件で懲罰などを求めることは、言論の内容を罰することになるため、他者への人権侵害など、言論の自由が制約される必要がある範疇を超えてはならないということになる。

 

 

マイクが使われている場合とそうでない場合では、事情が多少異なる。

ただ、話し手の思考の混乱や、注釈をつけて他者に聞かせることなどの迷惑がひどければ、問題は肉声と同じである。

 

街頭演説は、民主主義・自由主義にとって重要であるが、自由民権運動の頃とは重要性のレベルが異なる。

 

言論の自由が重要であるとしても、聞きたくない人に無理やり聞かせることができる権利では行き過ぎである。

拡声器の使用や音量・場所などの配慮や規制は必要である。

 

議員という公的な立場で街頭演説を行なう場合は、事実上特別な立場であり、特定の会場内というわけでもなく、公共空間で拡声器を使用するなら、一般の人々の意見表明の機会と比較して、その場にいる人々が肉声で叫ぶのを禁ずるのは行き過ぎである。

 

聞きたい人への配慮が必要な面もあるが、拡声器やネット情報の存在などからして、公人による公共空間の独占使用のために、静かに聞く義務を国民に負わせるのは公正ではない。