117

 自国民と一時的な滞在者とでは、権利保障に違いがあるようなので、違いがあるという前提で考えると、日本の司法制度についてそのまま適用を受けるか、(可能な範囲にはなろうが) 欧米流や自国の制度に沿った制度の適用を受けるかを入国時に選択しておいてもらうというのはどうか。

 

日本人も、選択したい人には認めたほうが良いのかもしれない。

選択可能であれば、差別にはならないだろう。

 

世界標準が定められているわけでもないので、内容をここで確定することはできないが、日本人の多くが海外流が良いと思えば、その方向に統一されていくのかもしれないし、日本の司法制度への理解が進んだり、改良されて良くなることで、日本の制度を多くの外国人が選択するようになる可能性もある。

 

 制度の設計でも変更でも、実際に試してみないと分からないことも多いと思われる。

 

単なるアイデアに過ぎないが、一国二制度ということになろう。

 

二系統の司法システムは成り立たないと言ってしまえばそれまでだし、否定的に考えれば混乱を招くということになろうが、国民の理解を伴ない、司法関係者がやる気になればできるかもしれない。

面倒なことをすることくらいなら、欧米風に統一してしまったほうが良いと判断されるかもしれない。

 

 ただ、おもてなしのように考えると軽くなってしまうが、外国人に配慮することも必要である。

宗教上の配慮が求められる流れもある。

 

戦時中、捕虜の食事にごぼうを供したことが、木の根であるとして虐待と受け止められたりしたこともあるのであれば、風習や文化の違いもあるし、外国人の感覚で人権侵害感がより強く意識されることには配慮したほうが良いのかもしれない。

 

ただ、お金持ちが一般人並みの扱いに我慢できなくなるといったことにまで配慮すべきではないのは当然である。

 

海外に逃亡した外国人は、欧米流の裁判を提示したら、戻ってくるのだろうか。

規範に対する自身の認識を絶対視し、巨額の資金を使って訴追から逃れるのは、権力者の振舞いであり、公正ではない。

 

訴追回避に対する罪悪感は、租税回避と同じようなレベルなのだろうか

 

規範は世界共通にはなっていないし、刑事手続きが世界的にマニュアル化されているわけでもない。

 

司法についてグローバルな選択制になっていない中での大金持ちの身勝手な逃亡は、国際公共性の観点から許されるものではない。

 

様々な面で手続きの適正は重要であり、深刻な人権侵害としては拷問が考えられる。

刑罰自体が過酷である場合も深刻である。

そのような場合であれば、逃亡・救出が必要である。

 

しかし、人権救済・擁護を求めたり、それを語る場合には、平等性に基づかなかれば公正さを欠く。

 

経済的自由が保障されていても、他の人権、人身の自由や適正な裁判を受ける権利等が保障されていなければ救済されるべきであるが、手続き上の一つ一つが国際的な最優遇制度でなければ人権侵害だということにはならない。

 

逃れた人の主張が正しいと判断するなら、逃れられない人全員を救済しようとしなければ公正とは言えない。

 

多額の資金を保有・使用して独善的に逃亡を果たすなど、平等性を気に掛けない者は、人権保障の内容を語る資格はない。

 

人権は、平等と切り離せない。

 

保障される内容に違いがあるのでは、人権ではない。

 

極端な経済的不平等を肯定しつつ、 他の権利について平等 (以上) を求めるのは不当である。

 

 国連は常時人権保障を気に掛けているが、処罰に関しても国別の犯罪人引渡し条約に任せたままではなく、イレギュラーな場合や国際犯罪などのために、人権が保障された適正な裁判が行われるよう独自の刑事司法システムを設ける必要があるのかもしれない。

 

世界政府として権力が集中すれば良いということでもないが、人権保障の面で、司法権に関わることには意味があることかもしれない。

 

現状から離れたことについては、大雑把になり、考えもまとまりにくい。