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自分の知識が不十分なことは言うまでもないが、人の能力には違いがあるので、知識が十分になるまで待っていたら、人生を何度も生きてからでないと自分の考えを述べられそうにもないので、思い至ったこと、思いついたことを、とりとめもなく記す。

 

私の考え方は、兼愛交利や非戦を説いた墨子の思想などと近いのかもしれないが、今のところ詳しく検討はしていない。

ただ、現代人の考え方としては、近いほうが当たり前とも思われる。

 

さて、墨家に対する孟子の批判などにもあるが、兼愛 (博愛) は家族への愛を重視していないという捉え方がある。

 

墨家がどう考えたのかは知らないが、兼愛を説いたからといって、家族をないがしろにすることまでを良しとしていると考えるのであれば、それが曲解であることは、論理的に明らかだろう。

 

また、家族への愛が大切だからといって、あらゆることについて家族を優遇して良いわけではないのも明らかだろう。

 

万人の平等な人権保障を受け容れたからといって、家族の人権が制約されるわけではないし、家族関係が否定されるわけでもない。

 

公共的なことで家族や親しい人を優遇して良いのなら、不正の多くが正しいことになる。

 

 

私は、神様のような完全な愛を主張しているわけではない。

 

思いやりの中身・向け先・向け方を、知性で判断する必要がある。

 

 嫌いな相手・愛情を持てない相手に対しても、人として思いやりを持つことはできるし、持たなければならない。

 

分け隔てをしてはいけないことがある。

 

富の分配も、公平性・公正さを考慮しつつ、できるだけ平等を目指すのが思いやりに適う。

 

国や社会の制度・政策について、思いやりに基づいて知性を使うのが正しいのであり、もはや国際関係でも、将来世代との関係でも、そうあるべきである。

 

自分や家族や自国のためにのみ、人権擁護なり互助なりの公共政策を受け入れるのでは、社会は安定せず、結局自分たちのためにもならない。