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憲法の下で存在している政治体制や総理大臣の地位を認めながら、憲法の正当性に疑問を呈するのは恣意的である。

 

憲法違反の行為を総理大臣に求めるのも、違法行為を教唆するようなものだ。

 

学者の多数意見は知見なのであり、知見に基づいて違憲と判断される政策や行為は違憲であると捉えられなければならない。

大臣本人や内閣自らが合憲と解釈したとしても、客観的には無効であると理解されなければ、憲法の存在意義が失われる。

 

 それは、どのような憲法にとっても同じなのであり、改憲しても守られなければ意味がないと知るべきである。

 

司法による判断が時に適切に示されれば、そのような捉え方が当たり前となり、無駄な争い・不適切な対応・立憲主義破壊などはなくなる。

 

合憲であると強弁した時点で、憲法尊重擁護義務違反である。

 

 

基本的人権は、法律による留保が認められると意味をなさなくなるため、それを敷衍すれば、人権を保障する法律や憲法がなかったとしても擁護されなければならないことになるのだろう。

 

従って、人権の概念を取り入れた国際社会では、政治体制の違いは人権軽視の理由とはならない。

 

人権保障を後退させる憲法改悪であれば、国際社会での信用を失うことになる。

 

 

国連は、人権の概念を採用する以上その擁護のため、安全保障に関して責任を負う。

 

従って、安全保障について国連に委ねる姿勢が、国の人権保障として問題があるわけではない。

 

一方で、国連の体制や対応が不十分な部分があれば、国が人権保障の面から安全保障上の責任を果たす必要は出てくることになる。

 

ただ、それで9条を否定して良いわけではなく、補完的・限定的・条件的に捉えるのが妥当である。

 

日本国憲法第九条は、国際公共性に適う規定である。

 

自衛のために軍事力を増強させることは他国との緊張を高めるおそれがあり、他国民の人権を尊重しないことになると共に、かえって自国民を危険にさらす面もあるため、戦力不保持には意義がある。

 

人権の概念に基づくのであれば、他国民の人権も擁護する必要がある。

 

 

押しつけられたと感じて憲法を改正しても、自由民主主義の下で理性的な選択がなされるのであれば、同じような内容になるはずである。

国の歴史が強調されれば、過去に存在していなかった、人権や民主主義の概念が後退するのは明らかである。

 

改憲を党是としてそのような内容を実現しようとするのであれば批判の対象先の国々とむしろ類似的な国家体制を目指していることになる。

政党名は、単に過去に合流した名残りだけで、理念を表していない場合もあるのだろう。