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「とりとめもなく」ということを言い訳にして、整合性を無理に意識せずに、とりとめもなく今後も記していきたいと思います。

 

前に、民主主義と人権や自由主義ということについて、少し触れました。

自由主義民主主義が対立するとは捉えていません。

 

言うまでもなく、自由主義は自由を大切にする考え方で、民主主義は民主制を大切にする考え方でしょう。

 

個人から考えると自由主義が先にくるのかもしれませんが、人類は男女間という複数個体から生まれ、はじめから社会の中で存在しているとも捉えられるため、自由が先とも言い切れないように思われます。

それぞれが主であることによって、自由であるとも考えられます。

 

そういう面で、自由主義と民主主義は同根で、平等主義や友愛・博愛さえも同根で、それぞれが欠けていれば他も不完全になると思われます。

 

各人が自由にそれぞれ主役の人生を送ることができるのが平等ということであり、特定の人が主では、不平等で自由も余分に制限されます。

 

社会の中で、自分の自由を尊重してもらうためには、他者の自由も尊重する必要があり、それが全うされるには、義務感だけでは不十分で、思いやり=友愛・博愛・連帯といった意識が社会的に必要です。

 

独裁者や少数派が力を背景に他者の自由を恣意的に奪うのが民主主義から外れているように、多数決で他者の自由を恣意的に奪うことも、多数派だけが主として振る舞うことであり、完全な民主主義からは外れています。

独裁体制に対する民全般だけで捉えた民が主ということで良しとして、民全般の内側を気にかけないと、民全般の中に独裁体制と同じような性質の多数派支配体制ができてしまいます。

多数決は、民主主義での決定方法の一つに過ぎません。

多数決で決めて良いものかどうかの見極めが必要です。

正しい民主主義は、自由主義と対立しません。

 

ところで、奴隷になるようなことを選ぶのも自由かもしれませんが、他者の自由・平等・博愛に社会的な影響を与えてしまい、自分を大切にしないだけでなく、他者を尊重し合うことからも外れてしまうため、その様な自由は、認め合うべきものではないと考えられます。

 

また、幸せは心の内にあり、自分の自由や満足だけに執着し、他者への優しさが欠けてしまえば、幸せな人生にはなりません。