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あいちトリエンナーレについて文化庁が、手続き不備を理由に補助金不交付の決定をした件で、実現可能性や継続可能性という観点が示されました。

 

そのような観点は、物理的に実現不可能なことや犯罪にかかわることなどに公費が投じられることを防ぐためのものなのではないでしょうか。

 

実行できないことが、脅迫等の他者による妨害行為に起因するにもかかわらず、被害者側の責任を問い、不交付の結論を導くのでは、文化事業に限らず、国が補助金を出す様々なことについて、テロ予告などによる妨害行為を有効な手法にしてしまい、不正義です。

国として整合性を保つことができないことは明らかです。

 

他者による脅迫などの妨害等が無いことが、事実上、補助金交付の条件になってしまいます。

また、反対が多いことを理由として、人権に関わる補助金が不交付になってしまうのでは、人権保障が成り立ちません。

 

 他者による脅迫があった事実が、補助金交付の審査に影響があってはならないとすれば、その報告が遅れたことを理由に不交付の決定を下すのでは、文部科学大臣や役人は何様なのか、お大臣様・お役人様なのかということになってしまいます。

 

そうでないとすれば、審査とは結び付けられない部分の不備を理由に、適正な審査を行えなかったとして補助金不交付にするということは、内容に関して、反対者側の思想に共感しての判断であることが露呈してしまっているということでしょう。

 

妨害行為が原因で実現不可能になり、公費が無駄になってしまうとすれば、それを負担すべきなのは妨害行為者であり、それができないのであれば、社会 (国) が負担するのはやむをえないということになります。

 

 

愛知県が設置した検証委の中間報告は、妥当な指摘はありながらも、監督の責任を過度に問い過ぎて、同じく妨害行為を有効な手法にしてしまいます。

 

そのようなスタンスは、たとえて言うと、紛争地域  (被害者が存在するかもしれない領域 ) に関して、(被害者の救済や公正さを確保する前提となる) その情報の必要性に思い至らず、あるいは必要性を認めながらも ( 自分がそこに行かせられたら困るにもかかわらず ) 、そこに行くジャーナリストの責任を厳しく問うことに同調することと同じ姿勢になってしまっていると言えるでしょう。