とりとめもなく・20

・知足と適応的選考形成(すっぱいぶどう)・

 

個人の幸せは、自分が得た(受けとめた)物事や状況に、心から感謝できるかどうかに懸っていると思われます。

 

手の届かないぶどうが、まずいに違いないと考えるのは、知足には至っていない心情でしょう。

 

不満足な心をやり過ごした後で、足るを知ることができれば良いですが、自分をごまかしてからだと知足の心にたどり着きにくくなるかもしれません。

 

ただ、得られない部分をどう考えるか(どう実現するか)ということと、既に得てきた物事・状況をどう受け止めるかは別のことです。

 

ワイングラスに半分入っている(残っている)という、よくあるたとえでも、半分でも一口でも飲めることに感謝するほうへ気持ちを持っていけば幸せを感じられます。

 

ワインを継ぎ足すことができても、ありがたいと感謝できる心がなければ、不満足が続いてしまいます。

 

知足は、その方向へ心を持っていくとしても、自分を偽ってのことではなく、単なる適応的、便宜的なものではないので、適応的選考形成とは一線を画すと考えるべきでしょう。

 

 

一方、社会としては、人々が得ていない部分をどう実現するかを、客観的に考える必要があります。

 

足りない状況で、分かち合う社会。

足りない状況で、奪い合う社会。

最低限は足りているが、それ以上の部分は奪い合う社会。

競争はしても分かち合う社会。

 

奪い合うだけの競争社会は、人々の心がすさみ、幸せから遠ざかります。

 

自国ファーストや国益至上主義は、国内的には利他主義的な正義として捉えられたりしますが、自分が属する集団の利益追求に過ぎず、分かち合いとは正反対の利己主義的な主張になってしまいます。

 

他者を差し置いての利益追求に、人々の幸福はありません。