とりとめもなく・15

・個人の尊厳と思いやり・

 

個人の尊厳を大切に考えるとしても、利己主義で良いということには結び付きません。

一方で、個人主義への批判として、多数のために個人が犠牲になることを強いるような考え方をすることも問題です。

 

現実の場面では、さじ加減・折り合い・調整ということも必要になります。

権利が守られることは大事なことですが、独裁者のような振舞いが許されるわけでもありません。

頑張った人が報われたり、才能のある人が活躍できるのは良いことで、そうあるべきですが、その過程でも他者への配慮(思いやり)は不可欠です。

 

将来世代について、生まれて来れば状況がどうであれ、別の選択がなされていたら当人は存在しなかったのだから、より良い、悪くはないとして、現世代が将来世代に配慮する必要はないという考え方があるそうですが、因果関係・条件関係として、現世代の悪い選択によって当該子孫が存在することになるとしても、元々、様々な選択の結果存在することになる別の子孫の存在(別の未来)の可能性は常に失われざるをえないのであって、選択する側の身勝手さが肯定される理由にはなりません。

生存のカギを握る独裁者や特権階級のような振る舞いは不正義でしょう。

 

平等性は、今存在しない人との間でも保とうとする考え方が必要です。また、死者との間でも公正さを保とうとする意識が必要です。

そうしないと、他者の死や誕生しないことが有利だとして、それをお互いが望み合うことにもつながります。自分の死も望まれるということです。

自由至上主義では、独裁や独占的利益を望む余地があり、結局、敗れた人の自由は失われます。

既にこの世を去った世代に分配することはできませんが、将来世代と分かち合うことはできます。